インターネット動向

ネット記事のコピペ問題の本質

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1.なぜコピペ記事が広まっているのか

ネットの記事が大量にコピペされている事が問題視されている。
パクリがいけない事は当然の事だ。
しかし本質は、なぜここまで横行しているかについて考えねばならない。

ひとつ言えるのは、今のネット情報の利用方法からすると、記事を書く際にはあえて意識的になっておかないと、流れに身を任せているといつの間にかコピペ記事が出来上がってしまう危険があるということだ。

たいてい人は何か知りたい事があると、まずネット上を検索し、大概は目的を果たせる程度に情報を得る事ができる。

さて、今あなたが自分の興味のある事柄について何か記事を書こうとしているとする。
まったく何も見ずにすらすら書けないので、当然のことのように参考に情報をネット検索する。
すると、自分が記事にしようとしていた情報にたどり着ける。

なんだ、もう記事にしてる人がいるじゃないか、と一瞬記事を書こうとしていた動機を見失う。

しかしここで思い直し、今の自分が読んで面白いと感じるという事は、今の自分がアウトプットできるレベルのものではない。自分が書こうとしていたのは、もっと浅く広いレベルの記事なのだ、だからこの記事を参考に記事を作成してよいのだ、と考える。

論文などでも出典を明らかにしながら引用して持論を展開してゆくものだから、引用自体は問題ないはずだ、と。

しかし、この方針で記事を書き進めて出来上がった記事を読み返してみると、いつの間にかほとんどの内容が転用した、いわゆるコピペ記事のようなものとなっしまっている事に気付く。

一体、なぜなのだろうか。

ポイントは2つある。
まず、ネット上の記事は論文などと違い、自分で実験や調査などをした事実が極端に少なく、事実はそのほとんどが別の箇所からの引用で成り立っており、記事のオリジナリティの部分は、「考え方」や「情報の紹介」で構成されているのだ。

次に、SNSでの「いいね」などと同様、ネット上の記事になっている事そのものが、そのリアルタイム性と合わさって、まるで今飛びつかなければ取り残されてしまうかのような、ある種の吸引力を備えてしまう。そして、それによりもうこれ以上他の参考文献や考え方を探したりする必要性が感じられなくなってしまうことが挙げられる。

これらの記事のあり方は、SNSを含めた現在のネット情報の活用のされ方そのものを如実に表しており、既成事実となっていまっていて、このことを否定してしまうにはあまりにも社会に浸透しすぎている。

結局のところ、ネット上の記事はすでに最後まで噛み砕かれた情報なので引用できる部分が残っていないのにもかかわらず、かなり簡潔で魅力的なコンテンツに仕上がっているので、いまどきのネットユーザが素直に調べた結果を記事にすると特別な意図がなくても流れ上コピペ記事が出来上がってしまう。

簡単に言おう。ツイッターのリツイートと同じように、オリジナルの情報源は少ないのにユーザが情報を模造して拡散していっているのだ。

2.記事を制作する際に心がけることが必要

完全に情報を消費するユーザ側の立場に立つ限りにおいては、かなり効率的に情報収集や予備知識が得られる。
ところが、いざ制作側に立とうとするとここで得た知識だけでは決定的に要素が不足しているのだ。

不足している要素とは何だろうか。それは、オリジナルの情報源、つまり情報になる前の、自分だけが知っている、経験や体験だ。

それはすでに一般に知られていることでも構わない、ニーズの有無も関係ない、自分が身をもって事象から得た経験であることが必要なのだ。

例えば、旅情報を記事にしようとした場合の事例で見てみよう。
ある観光地を紹介する記事を書く際、「地図」の引用は可能だろうか。
これは可能だろう。記事の目的は特定の観光地の紹介であり、地図は位置に関する資料でモノが全く別物だ。
もし記事が観光地の位置のだけを示すものだった場合は、自分で書いた地図の方がよいだろう。

しかし、ある観光地の紹介記事を書くのに、同じ観光地に関する別の紹介記事を引用することはどうだろう。
おそらく、引用どころか、参考にすることすら困難だろう。
記事の内容は、観光地へ訪れるための旅情報で訪れる際に必要な様々な情報、例えば途中のおすすめの飲食店や観光名所の紹介などになるのだと思うが、ここはご本人の実体験もしくは体験さながらの調査をするかのどちらかが必要なはずだ。

この「体験さながらの調査」の部分が、「別の紹介記事の参考」に置き換わってしまったのがコピペ記事問題の本質だろう。

上記の「体験さながらの調査」と「別の紹介記事の参考」の微妙だが大きな違いについてどう思われるだろうか。

前者は連結される前の点と点を自分で接続していく作業、後者はすでに接続済の線を上からなぞって自分で描いたように書き添える作業。

前者はどんな結果が出るかやってみないとわからない作業、後者は結果がすでにわかっている作業。

前者はすでに前人が通った道かもしれないが自分も一から迷うところから体験している作業、後者はすでに前人が通った道なので経験を受け取るのが世の効率になると考える作業。

目的が同じ別のコンテンツを制作の参考にすることは、結果的に盗用することとほぼ同義となってしまう。
参考にするならば、別の目的のコンテンツの中に組み込まれた部品を参考にすべきである。
もし同じ目的のコンテンツに出会ってしまったら、自分との違いを見極めて立ち位置を明確化、再認識し、記事を制作する動機を保った上で、その場から遠ざかることだ。
遠ざかることは、逃げでもなんでもない。ダブルチェックのために別世界で作業するだけのことだからだ。

3.最後に

ネット情報が効率的なのは、自分がユーザ側にいる場合の話である。
ひとたび情報提供側に立とうと思うならば、相当非効率な作業を行わねばならない。
なぜなら、その記事を何億人が利用すれば、その時点ではじめて超効率的な情報伝達が実現するのだから。

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